想定の範囲内だった

巨大津波を予測していた男−活断層地震研究センターの宍倉博士 2011年 4月 11日 9:21 JST
http://jp.wsj.com/Japan/node_219865
>宍倉博士は古い地層を研究した結果、450年ないし800年ごとに太平洋のプレートが衝突して巨大津波が発生し、福島県宮城県の現在の仙台市周辺を荒廃させてきたと確信した。
>そこで宍倉博士と同僚らは2010年8月、論文を発表し、「近い将来に再び(同様の津波が)起きる可能性を否定できない」と警告した。この論文は同氏の勤務する独立行政法人産業技術総合研究所活断層地震研究センター(つくば市)の発行する機関誌に掲載された。 
>宍倉博士はこれを警告するための広報活動を始めていた。活断層地震研究センターでは、どの地域が津波リスクがあるかを人々に理解させるため地図を配布する計画が立案されていた。3月23日には、福島県の当局者を前に研究成果を説明する予定だった。
>宍倉氏の上司で活断層地震研究センター長の岡村行信博士は09年、福島原発の安全性を討議する公式委員会の席上、この研究結果に言及していた。岡村博士によれば、津波対策強化の考え方は実行に移されなかったという。

大熊由紀子(朝日新聞科学部:当時)著「核燃料 探査から廃棄物処理まで」朝日新聞社(1972/02/10)ASIN:B000J8WK9M
http://www.amazon.co.jp/%E6%A0%B8%E7%87%83%E6%96%99%E2%80%95%E6%8E%A2%E6%9F%BB%E3%81%8B%E3%82%89%E5%BB%83%E6%A3%84%E7%89%A9%E5%87%A6%E7%90%86%E3%81%BE%E3%81%A7-1977%E5%B9%B4-%E5%A4%A7%E7%86%8A-%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%AD%90/dp/B000J8WK9M
>……(低レベル放射性廃棄物を詰めた)ドラム缶の数は……1985年までは百万本を超えてしまう。<129P>
原子力委員会が青信号を出せば,1977年後半から試験的海洋投棄を行い,結果がよければ,1981年から本格的な海洋投棄を始める。<139P>
>「……原子力開発では,核燃料の再処理と廃棄物の処理とを重視すべきだ,と説き続けてきました。……しかし誰も応援してくれませんでした。」<148P>
>しかし,その死の灰は,百万年以上たっても放射線を出し続ける……。<151P>
原子力委員会は,1976年10月,高レベルの放射性廃棄物をガラスで固めたうえ,地下の深いところに埋める方針を決めた。ほんとうに安全な捨て場と捨て方とを見つけるためには,かなりの年月と研究費とが必要だ。<158P>

低高レベル放射性廃棄物の最終処分場と処分方法を決めないまま原発を次々作れば,仮置き場のはずの原発敷地内が最終処分場もどきとなり,捨て場がなくなる。事故って放射性廃棄物を処理しようとしても,もはや海洋投棄しかなくなる。1972年の段階で予測された想定の範囲内だったわけで。
今回の大津波も東日本大地震の直前に警告されてたから,こっちも予測された想定の範囲内だった。
技術者が的確な未来予測をしてたのに,災害防止に生かせない日本という国は(以下略。_| ̄|○